2019/10/02 21:31
このような事を書くのは、勇気のいることですが、神様が証をしなさいとの事ですので、書き綴ってみます。
神など信じないし、あなたの考えを押し付けないで!と思われる方は、スルーしてくださいね。
でも、きっとこの証を必要とする方がおられるので、証をするようにと感動が来たのだと思うのです。
一年前から、数回「RAPTブログ」と「聖書」をご紹介させていただきました。
とくに「いいね!」を求めているわけではないので、淡々と書かせていただいたのですが、心配してくださった方からは、直接ご注意をいただきました。仏教がだめならキリスト教?みたいに受け取られた方もいらっしゃったようです。
人の感じ方は本当に様々です。自分の体験を基に考えますから…
そうは言っても、今、世の中は本当に変わってきたと思いませんか?
先日の参議院選挙で、残念ながら議席を得られませんでしたが、「オリーブの木」という政党の黒川代表(40歳)が、国際金融資本家やマネーゲームについて言及しました。以前、石井紘基さんが刺殺されたことも重々承知の上でです。
命がけで世の中を変えようとしている人たちが、現れているのです!
そして、インターネットを通して、次々と真実が拡散されています。(現状は、真実を阻止する妨害工作や、様々な害を及ぼす情報も沢山拡散されています) 世の中の人々は、正しい情報を得たいと思っても、あまりに情報が膨大過ぎて右往左往してしまっているのではないでしょうか?(だから、堀江さんとか、目立つ人の話に耳を傾ける人が多いのではないでしょうか?)
自分の心の内側と社会的立場の考えや立ち振る舞いとの対立は、大変なストレスではありませんか?
なぜ、今世の中はこのようになっているのでしょうか?
神様は、人間に「人間の力ではもうどうしようもないという限界を味合わせ、神に立ち返るよう導いておられるのです!」
私は、ちょうど一年前に神様に祈ることを始めましたが、それまでの状況はかなり悲惨で、
四年前に金融公庫が、NPOにも資金調達してくれるようになったことを知り、継続支援をするために数回資金調達をしていましたので、借金を返済するだけで精いっぱいという状況に陥り、支援をする資金は絞っても出てこない状態になってしまいました。(今から思えばサブプライムローンと同じですね!)
もちろん、今も返済を継続しています。
けれども、神様に祈ることを続けていくうちに、頭の中がスッキリと整理され、霊肉共に変化して行きました。
祈りの効果がこんなにもすごいものだとは本当に驚きでした。
祈りといっても、呪文のように同じ言葉を繰り返すのではなく、心の想いを神様の前に自分の言葉で伝え、悔い改めるという祈りです。RAPT氏が、インターネットを通して、「有料ブログと朝会」を発信してくださっていますので、それを聴き実際に自分で祈ることで、精霊と繋がれるようになりました。
祈ることで自分自身を清め、それを毎日行うことで、思わぬ気づきがあったり、今までの自分にはない構想が与えられたり、気づけば、希望をもって生き生きと生きている自分になっていました。
多くの場合、つまづきは、気づきや成長のきっかけです。 私の借金返済は、カンボジアの手織りシルクの村の支援が終わろうとも、自分を叱咤激励して頑張り続ける追い風になっていますし、手仕事は、霊的に学んだことを、証出来る個性の表現です。今までの辛かった体験も、全てを益に替えるように出来る自分になれたと思います。
神様に頼って生きることは、弱い人のすることだと誰かが言ったような…
どこで、神様に頼らず自分の力で生きていこうとし始めたのか?わかりませんが、それは、実は損な生き方だったのです。
「人間は考える葦である」といったパスカルは、「神が実在することに賭けても失うものは何もないし、むしろ生きることの意味が増す」と言っています。なぜ、日本人は、キリスト教、宗教に対してこれほどまでに偏見を持ってしまったのか? これもRAPT理論で解明されています。
いったい何の為に、やっているのか?とか、何の為に薦めるのか?と聞かれた事があります。
正直、その時はきちんと答えられませんでした。
NPOのほとんどの業務を一人でこなし、資金調達も自分で行って来て、自分の力だけではもうどうしようもないし人に頼ろうとも四面楚歌、といった経験があって、やっとたどり着くことが出来た「今までやってきたこと全てが報われる生き方」ですが、こんな苦労をしなくとも、社会の奴隷にならずに自分らしく伸び伸びと生きられる生き方がある事を一人でも多くの方に伝えたいと思うのです。 神様は、人間が真に豊かに自由に生きられるようにこの世を作ってくださったのですから。
シルクが無くなったらどうするの?とよく聞かれます。
人間の頭で考えたらそういう不安が起こるでしょう。(お金と同じですね)
けれども、今の私は神様に寄り頼む生き方をしているので、そういう不安はないのです。
今、手元に与えられたシルクを、精一杯生かす努力を行って、自分が一つ上の次元に行くことが出来たらどうなるだろう?!
と、実はワクワクしながら、今を生きています。
と言っても、まだ借金返済中で、出エジプト記(旧約聖書)真っただ中とも言えます(笑)
まさに私は、このブログと聖書に出会い、過去、現在、未来が一直線に繋がりました。
一生を通して育むべきこと、向き合うべき大切なことを見出すことが出来ました。(一生は一度きりです!)
魂から求め、従順に探究してこそ得られるこの重大なことは、「RAPTブログ」(有料)がその方法を紐解き、その扉の開け方を導いてくれています。
読む、聴くだけではなく、心と思いと精神を尽くし正しく努力してこそ開く、狭き門、
一人でも多くの人が、この門の前につまずくことなく導かれますようにと心から願っています。
『求めなさい。そうすれば、与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
だれでも、求めるものは受け、探すものは見つけ、門をたたく者には開かれる。』
(マタイによる福音書 7章7節)
最後までお読みいただきまして有り難うございます。